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    あとがき  
WEB Magazine あとがき
 私は学生時代に、三十五歳で独立するという目標をたてた。しかし、現実には予定より七年も早く、二十八歳で現在の会社を創立した。
 予定を大幅に早めたのには大きな理由がある。私が日本電産を創業した昭和四十八年はオイルショックの年である。翌四十九年には原油価格がそれまでの三倍になり、スーパーの店頭から、トイレットペーパーや洗剤が姿を消した。
 所得倍増、高度成長と浮かれきっていた日本社会並びに日本経済は、百八十度の方向転換を余儀なくさせられていた。企業はこぞって規模を縮小し、新規事業に手を出すものもなかった。
 あえて私がそうした時期を選んで独立したのは、昔、何かの本で読んだ、「乱世の時代にこそ英雄がでる」という言葉が、頭の中にこびりついていたからだ。
 高度成長の時代とは、作れば何でも売れた時代である。“使い捨て”に象徴されるように、大量生産、大量消費の時代だ。こんな時代は、生産設備の整った大企業が断然有利で、小さな企業はなんとか生き残ることはできても、大きなチャンスはない。
 一方、オイルショック以降は、節約の時代 ― つまり、高度な技術力を必要とする時代になると私は推測した。モータの分野でいえば、超精密小型モータの時代が必ずやってくる。我社はこれに照準を定めてスタートした。
 すなわち、オイルショック以降は、技術力さえあれば、小さな企業にもチャンスが生まれると読んだのだ。まさに千載一遇の好機とばかりに私は会社を興した。周囲の猛烈な反対をおして……。
 今でこそ、「軽・薄・短・小」という言葉も定着したが、やはりこれには五年以上の歳月を必要とした。この五年間が私にとっては非常に苦しい時期であった。
 だが創業当時の私の考えが誤っていなかったことが徐々にではあるが証明されつつある。

 私は歴史小説を読むのが好きである。群雄割拠した戦国時代には、たくさんの名将が輩出したが、ナンバーワンの地位を築いたのは、信長、秀吉、家康の三人である。常に彼らは“京”を制して天下人となった。
 こんな理由から、私は創業地に京都を選んだ。それはさておき、この三人の天下人の中で、私が一番尊敬するのは秀吉である。理由はこうだ。
 信長にも家康にも、もともと家柄というものがあった。もちろん、天下を制した努力を否定するものではないが、大将になるべく生まれついた人たちだ。しかし秀吉はちがう。そうした基礎も何もなく、一からのし上がってきた。しかも今とは比較にならないくらい身分制度の厳しい時代にである。
 今、私はようやく一国一城の主にはなったが、目標は、モータの分野で世界を制することにある。今後もこれまで以上に努力していこうと自分に言い聞かせている。
 さて、最後になったが、現在の私があり、こうして本まで出版していただけるのは、小学校の担任の先生、兄嫁、見城尚志工学博士、この三人の大恩人のおかげである。改めてここでお礼を申し上げるとともに、本書出版まで陰に陽に御激励、御支援いただいた各位に衷心より感謝の意を表したい。
 


※本書は1984年にPHP研究所より刊行されたもので、内容は当時のまま掲載しております。

次回更新日:このシリーズは終了致しました。ご愛読ありがとうございました。
出典:「奇跡の人材育成法」PHP研究所より



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